人生の一発逆転は勉強しかない

健康で社会的に生き、専門知識を勉強して、仕事に生かして社会の階層を駆け上がる

高校を中退したらとりあえず単位制高校で卒業資格取得を目指そう

高卒の資格がないと今後いつしか行くであろう大学の道もないのでとりあえず単位制高校で高卒資格を取るのが良い。

かくいう私も16歳で中退し、17歳の冬に大阪茨木市にある向陽台高等学校という単位制高校に編入した。

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いつでも入学できると謳っているので思い立ったが吉日で電話をして学校見学に行くといいと思う。特に親御さんでかつての私のようなニートのお子さんをお持ちの方はお子さんは置いといて、自分の目で見に行って確認するといいと思います。

 

授業は単位制で自分で時間割からコマを指定して満遍なく指定の教科を取って行く。私は約1年半通って19歳で卒業したが週2、3回程度に詰め込んで通っていた。

 

当時20年前は生徒の半数はヤンキー、3割は地味目の普通、2割は引きこもり系の感じで私も例に漏れず引きこもり系としてしっとりと通学していた。その他ごく少数の中に当時16歳でプロになっていたサッカーの稲本選手や関ジャニの人もいたようだがお目にかかることはなかった。

 

授業の難易度はとっても易しい、テストもとても標準的、それでいて高校の単位がもらえるのだから、大検取得のようにハードに勉強する必要もあまりない。ただし宿題はきっちりあるからきっちり納期通りに提出するようにしなければならない。

 

一つ珍しかった教科は哲学の授業だった。高校中退してからというもの生きる意味を探して哲学入門書に没頭していたので毎回の授業がとても楽しかった。一度、宿題の作文でなんの脈略もなく、中島らもの「僕に踏まれた街僕が踏まれた街」というエッセイ本の書評のようなものを書いて提出した時、先生に声をかけられて「あれ面白いわな、先生も知ってるで」と言われたことがある。同じ趣味の友人を見つけたような感覚になって嬉しかった。それ以上特に話はしなかったのだけれど。

 

体育の授業で印象的だったのが、期末テストがソフトボールの対抗試合になっており、1打席でもヒット打ったら優がつくというものだった。結果は忘れた。でも楽しかったのは覚えている。

 

友達は最後までできなかった。駅から送迎バスに乗り、学校で授業を受け、少し自習して、また送迎バスに乗って帰る。そんなルーティーンを繰り返すだけの日々は、友達どころか「この先どうなるんやろか」という不安な気持ちでパンパンだった。友達を作って遊んでなど多分余裕がなかった。またそんな自信もなかった。でも授業は真面目に出て宿題もテストもこなし多分ほとんど優で卒業したと思う。もうあまり覚えていない。

 

人との関わりのエピソードといえば一つだけあった。僕が自習してたらグラサンをかけた見た目ヤンキー君が近づいてきて「シャーペンの芯くれや」と凄まれた。1本あげればいいところを怖かったので2本あげた。ヤンキー君は礼も言わずにその2本を私の手からむしり取って去っていった。なぜ1本ではなく2本差し出してしまったのか、自分のビビリ症にずいぶん自己嫌悪に陥った。多分これが人との触れ合いで覚えている思い出だ。その他はもうあまり覚えていない。

 

そんなことで19歳の3月、僕は晴れて高校を卒業した。卒業式があったのか、そして出席したのかも覚えていない。でもただ一つ覚えているのは、卒業証書の筒を家で父親に見せた時、「よかったな、高校卒業までやりきったな」と笑顔で褒めてもらったことだ。僕としては高校中退で通信制の高校を1年周回遅れで卒業したことが恥ずかしくて全く祝う気持ちにもなれていなかったし、当たり前のことを周回遅れでやっただけという惨めな感覚だったので、その言葉にも何も反応しなかったと思うが、今その言葉を覚えているということは素直に受け取らなかったが、何か言葉にならない感情が湧いていたということだろう。多分嬉しかった。

 

そして今がある。今は元気に働いている。あの時高校卒業したから今がある。あの時の勉強が続いて続いて波があったけどその延長線上で今専門分野でご飯が食べられている。だから言いたい。高校を卒業して将来に繋げてほしい。高校を卒業したら祝ってほしい、自分自身でもあなたの子供でも。高校卒業とは希望そのものだ。